2011/07/26 更新
2008/04/10
 更新

ふたつか
路線:JR西日本城端線

高岡 ← 二塚 → 
所在地:富山県高岡市二塚2209                                       最終取材日:2011/07/24

下島踏切からの二塚駅

発車したキハ40-2027+キハ40-2078高岡行き

 二塚駅は1899(明治32)年4月3日に中越鉄道の二塚駅として開業し、1902(明治35)年5月15日に
廃止となったが1914(大正3)年2月20日に中越鉄道の二塚停留場として復活した。1957(昭和32)年に
砺波製紙(現、中越パルプ)二塚工場が操業を開始し、同時に工場への専用線ができた。ホームは相対式で駅舎側
1番線が城端方面、跨線橋を渡って2番線が高岡方面となっている。旅客の利用はごく僅かでJR貨物への業務委
託駅となっているる。窓口の営業時間は7時40分から16時でB−POS端末が設置されている。駅近くに二塚
公民館、高岡市農協二塚支所がある。
 城端線は高岡駅から1つ目のここ二塚までは貨物列車も走っている。庄川沿の中越パルプ二塚工場まで引き込み
線があり、コンテナ車で製品を輸送している。原料のパルプ用木材チップは富山新港より大型トラックで運び込ま
れるようになった。地元の人は「ふたづか」と呼ぶが駅名の発音は「ふたつか」である。現在金沢開業を目指して
建設中の北陸新幹線が通れば高岡駅と二塚駅の中間の京田地区に新高岡駅ができる予定である。城端線にも新駅が
設置されることになっている。
 二塚地内には高岡テクノドーム済生会病院高岡スポーツコア、おとぎの森公園、イオン高岡がある。いずれ
も駅から1q以上離れており、二塚駅の利用には結びつかない。たまに、中、高校生が二塚駅から徒歩でスポーツ
コアへ向かう姿が見られる。イオン高岡へは高岡駅前から加越能鉄道鉄道が運行するシャトルバス(160円)があ
り城端線利用の場合も高岡駅からとなる。
 二塚駅は跨線橋を備えた立派な駅であるが駅舎は「JR」の看板がなければ駅とは分からない民家のような駅舎
である。貨物駅の操作機器が設置された駅務室の窓際に瓢箪が沢山吊してある。旅客列車用2線の他に貨物列車用
側線が2線ある。駅から約800mの所に、この地へ流刑後、殺された後醍醐天皇の皇子の墓がある。
恒性皇子の墓碑文の内容
 恒性皇子は、第96代天皇後醍醐天皇の皇子で、元弘の変(1331〜33)の折り、父天皇と共に鎌倉幕府(北
条氏)の討伐を企てられたが、失敗し、天皇は隠岐の島に配流、恒性皇子は幕府に捕らえられ元弘2年(1332)
越中の守護名越時有のもとに幽閉された。元弘3年(1333)2月天皇が隠岐の島を脱出されてから天皇方の軍が
各地に興り、幕府の形成は日々傾いたが、皇子は鎌倉幕府滅亡の直前に当る、同年6月30日(旧暦5月10日)幽
所で、時有によって殺害された。この東二塚地区には、古来、皇子にまつわる遺跡が数々伝えられており、明治4
5年(1912)1月29日宮内省ならびに地元官民有力者の尽力によって射水郡二塚村二塚の俗称太子墓の古墳(
(現在地)宮内省告示第1号により皇子の墓と定められた。
地名以外の漢数字置き換え
 富山県で唯一の宮内庁が管轄する御陵募となっている。名越時有により恒性皇子が殺害された時、日野直通、勧
修寺家重、近衛宗康の3人の侍臣も殺害された。その首をさらした場所は、「三ヶ首」また、皇子を火葬した場所
は「皇子三昧」(みこざんまい)と言われている。三ヶ首は高岡スポーツコア近くに、皇子三昧は林駅近くにあり
石碑が立っている。

ホ−ムから高岡駅方向

ホ−ムから城端駅方向

1番線ホームの駅名表示板

2番線ホームの駅名表示板

駅舎入口の銘板

ホーム電柱の駅名表示板

1番線ホームから2番線ホーム

高岡駅側からホームと跨線橋

城端駅側からホームと跨線橋

駅舎反対側から二塚駅

二塚駅舎

駅舎入口

改札口

改札口と窓口

駅舎待合室

2番線ホーム待合室

2番線ホームの花壇

役務室のひょうたん

高岡駅側の下島踏切

下島踏切から高岡駅方向

下島踏切から二塚駅

推進運転で到着するコンテナ貨物

JR貨物職員が連結作業

引き上げる機関車と誘導員

下島踏切から下島町方向

下島踏切から二上山

中越パルプ工業二塚工場

駐輪場

駅前の通り

高岡市立二塚公民館

高岡市農協二塚支所

駅から約800mの恒性王子の墓

恒性王子の墓碑文

列車内から新幹線新高岡駅工事

列車内からイオンモール高岡

おとぎの森公園シンボルタワー

おとぎの森公園を流れる千保川

おとぎの森公園バラ園

おとぎの森公園バラ園

発車したキハ40高岡行き

発車したキハ40高岡行き

発車したキハ40高岡行き