2011/02/12 更新
2009/08/07
 更新

えっちゅうなかがわ
路線:JR西日本氷見線

能町 ← 越中中川 → 高岡
所在地:富山県高岡市中川1丁目2                                           最終取材日:2011/02/11

越中中川駅舎

到着するキハ40系2連の氷見行き

 越中中川駅は1916(大正5)年4月に高岡中学校(現富山県立高岡高校)、高岡工芸学校(現富山県立高岡工芸
高校)の学生の乗降のみの駅として開設された。当時は高岡市ではなく、下関村中川だった。当時中川付近の線路
は藪の中を走り周りには湿地帯も見られた。その後1924(大正13)年に高岡高等商業学校が開校され、藪は
切り開かれ教員の為の宿舎が作られた。高岡高等商業学校の校舎と宿舎はその後、富山大学工学部として使われ、
工学部が富山市五福町へ移転するまで残っていたが現在は取り壊され校舎跡には高岡高校が移転して建てられ、宿
舎跡は雇用促進住宅が建てられたほか、高岡文化会館のイベント開催時の臨時駐車場として使われる。その後高岡
東高校(現荒井学園高岡向陵高校)、清光女子高校(現清光学園高岡龍谷高校)の各高校が開校され、今も乗降客の9
0%以上が高校生である。もちろん氷見線では乗降客が最も多い。高岡向陵高校、高岡龍谷高校までは距離がある
ため、屋根付きの大駐輪場には高校生が学校まで利用する自転車が置かれている。
 1982(昭和57)年にJR関連会社への委託駅になり行き違い施設も撤去されている。反対側ホーム跡は富
山県高岡文化ホールの敷地の一部となっているが線路跡は残っている。2001(平成13)年3月のダイヤ改訂時
には昼間帯の列車が大幅に間引きされ、保線工事による運休も行なわれるようになった。
 JR西日本は2001(平成13)年に越中中川駅の無人化を決定したが、地域ではJR越中中川駅利用促進協議
会を組織して切符等の販売と駅の管理を行いながら、安全な地域づくりに努めることになった。定時制の志貴野高
がウイング・ウイング高岡に移転して利用者が減少してJRからの乗車券等の販売委託手数料が減少し、市から
の補助金も年々減少して協議会の運営は厳しくなっている。無人化にするのなら氷見側踏切り付近に出入り口を設
ければ、高岡高校、高岡向陵、高岡龍谷高校の3校への通学は便利になる。無人化になれば、通学時間帯は運転士
や車掌での対応は困難になり、高岡駅からの職員派遣が必要になる。自動券売機が設置されているが駅員配置時間
は「只今の時間帯は出札窓口で購入下さい」の貼り紙で硬貨投入口をふさいでいる。普通の運賃表の他に通学定期
券の運賃表がこの駅独特。
 駅舎は2001年7月に高岡工芸高校デザイン科1年生20人の生徒がペイントして現在の姿になった。駅の高
岡寄りを県道44号線(旧国道8号・通称キュウハチ)が通っており、越中中川駅を発車した高岡行き列車は、すぐ
に県道の下を潜る。かつてはホームから北陸本線まで見えたが現在はすっかり宅地化されている。駅の向い側にあ
る富山県高岡文化会館は歩行者は県道44号線から入る事ができるが、駐車場は高岡高校側からしか入れない。そ
の隣には今話題の社会保険庁の高岡社会保険事務所がある。高岡側には地場建設会社の寺崎工業本社がある。駅前
広場と県道44号線の間に月極の駐車場があるが、他の駅のようにパークアンドライド用ではなく、駐車場を確保
できない近所の人が利用している。
 この駅がなぜ、北陸の駅bPかと言うと、私にとって最も親しみのある駅だからである。私は1947年生まれ
の堺屋太一さんの言う団塊の世代で、1982年に小杉町(現射水市)へ来る前は越中中川駅近くに住んでいた。物
心ついた頃から汽車を見て育ったので、これが鉄道好きになった原因かもしれない。小学生の頃はほとんどの列車
がC11形蒸気機関車が4〜5両の旧型客車を引いて走っていた。当時中川には鮮魚店が無く(現在も無くなった
が)氷見から氷見線を利用して多くの魚行商の人がやって来た。後にその内の1人が中川バス停近くに鮮魚店を開
店した。越中中川駅は相対式ホームで、駅舎側が氷見方面、構内踏切りを渡って富山大学工学部のグランド側が高
岡方面だった。現在の他駅の構内踏切のような警報機や遮断機が無く、駅員が監視していた。駅には4,5人の駅
員が配置されていて、駅舎側ホームにポイント切り替え用の転轍機を収納した小屋があった。駅員がこれを操作す
るとポイント付近に設置されていた腕木式信号機も連動して変わった。写真の線路跡からも判るが越中中川の複線
区間は長大貨物列車どうしが交換できるように非常に長かった。ポイントを点検に行った駅員さんが用水で溺れた
子どもを発見して祖母が助けたこともあった。

 貨物列車は能町駅や伏木駅近くの化学工場や製紙工場への専用貨車がほとんどで深夜にも走っていた。貨物列車
には輸入テンダー機関車も使われていた。これを書くときりがないので別コーナーを設けて書くことにしたい。

県道44号線から氷見方向

県道44号線から高岡方向

駅名表示板

ホームから氷見駅方向

高岡駅側から駅舎

氷見駅側から駅舎

駅舎入口

券売機  窓口 改札口

窓口の運賃表

待合室の時刻表

待合室

駅舎デザインコンクール入選作

駅舎に採用されたデザイン

文化会館側からのホーム

ホーム側にもペイント

大勢の高校生が利用する広い上屋

駅舎側の駅名表示板

氷見側に移転新築したトイレ

駐輪場

近所の人が駐車場として使用する

県道44号線からの高岡市民病院

駅前から県道44号線方向

高校生が学校へ向かう通り

県道44号線のガード 高岡駅方向

高岡市美術館

富山県立高岡工芸高校

富山県高岡文化会館

富山県立高岡高校

高岡市役所

高岡古城公園中川付近

最初のペイントデザイン

高岡駅側から最初のペイント

ペイント前の駅舎 1998年

駅前の案内板

1998年の氷見行き列車

キハ58系が走っていた頃

通過した急行「SLシーサイド号」

通過するコンテナ列車

到着するキハ47系氷見行き

通過する回送機関車

通過した回送機関車

キハ47系高岡行き

発車したキハ40系高岡行き

発車したキハ47系高岡行き

発車したキハ47系高岡行き